「よしもと祇園花月」閉館
2025-05-19


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最近はお笑いを見る機会がめっきり減った。テレビでもたまに吉本新喜劇を目にする程度で、漫才番組はほとんど姿を消してしまった。漫才番組が減少した主な要因としては、制作コストの高さ、芸人のトーク重視へのシフト、そしてYouTubeなど配信媒体の台頭が挙げられる。視聴者の関心はネタよりも芸人の人間性やエピソードトークに向かっており、テレビ局側も安価で制作しやすい番組を選ぶ傾向にある。また、漫才は年に一度の大型特番(M-1など)で注目を集める形式へと移行し、定期的な放送の必要性が薄れてきたという背景もある。そんな中、2025年8月に「よしもと祇園花月」が閉館するというニュースが報じられた。これにより、京都から再び吉本の常設劇場が姿を消すことになる。京都花月劇場から祇園花月へと続いた吉本劇場の歴史は、関西の笑いを育んできた重要な存在であり、その終焉は惜しまれる。

京都花月劇場は、吉本興業が1936年に新京極の中座を買収し、演芸場として開業したのが始まりである。漫才や演芸を中心に関西の笑いを支える拠点となり、戦後の一時休館を経て、1962年に再開。吉本新喜劇の舞台中継なども行われていた。しかし、建物の老朽化や興行の統合を受け、1987年に閉館。京都における吉本の常設劇場は一時的に姿を消すこととなった。その後、2011年に「よしもと祇園花月」が開場。かつて映画館だった祇園会館の劇場スペースを改装し、吉本が京都の笑いの文化を再興させた。漫才や新喜劇に加え、週末には東京吉本の芸人も出演し、多彩な演目が披露された。祇園花月は、再び京都に演芸文化を根付かせる重要な拠点として、多くの観客を魅了してきた。わずか15年での閉館は、漫才や落語といった伝統芸能の衰退を感じさせる出来事でもある。

祇園花月の前身である祇園会館は、かつて映画館として親しまれていた。京都の蒸し暑い夏の夜、涼を求めて3本立ての映画を観に行ったことを思い出す。古い映画やポルノ作品が多く、ほとんど眠ってしまっていたため内容の記憶はあまりないが、涼しい館内で過ごした時間が懐かしい。そんな思い出の場所に吉本が20年ぶりに戻ってきたとき、京都の人々は大いに盛り上がった。ただ、祇園花月は河原町や四条駅からやや離れており、近年ではインバウンドの観光客も多く、八坂神社前にたどり着くのも一苦労だ。外国人観光客にとっては漫才の魅力が伝わりづらいかもしれないが、立地としては最高の観光地にあることから、今後はそれを活かした再開発が進められる可能性もある。結果として、漫才が犠牲になった印象は否めない。今では漫才を見る機会は動画配信が中心になったが、ベテラン芸人の味わい深い芸はアップされない。漫才も落語も、芸人が老年期に入ってからの渋さが面白いのだが、そうした舞台を生で観られる機会は、今後さらに減っていくだろうと思うと、寂しさを感じざるを得ない。
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