不注意の力
2025-09-06


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この日のブログを書き忘れていたことに、今頃(9月24日)気づいた。不注意なのは生まれつきだが、この歳になると、それが妙に気になってくる。有り余る時間の中で、ルーティンの作業を忘れるとは情けない。もっとも、この作業を忘れたところで日常生活に支障はなく、誰も困るわけではない。だが、衰えていく自分の脳みそを突きつけられているようで、なんとも悲しい。「そういえば、近頃……」と、記憶や作業にまつわる自分の不甲斐なさを思い出してしまうからだ。

もともとずぼらな性格なのに、せっかちなところもあって、一つずつ物事を片付けるのが苦手で、できるだけ同時に処理しようとする癖がある。例えば、今使っているものを持ちながら別のものを取ろうとして、手が滑り、両方とも落としてしまう。いったん今の作業を止めるという行為を省いてしまうのだ。こうしたことが、どうも増えてきている。

なまじ認知心理学をかじったせいで、認識と行為の関連性を考えずにはいられず、それがさらに自己肯定感を下げるという悪循環に陥っている。そのくせ、こうして他愛もない自分の失敗を目にすると、今から出かけなければならないのに、修正せずにはいられない。こだわりが強くなっているというより、優先順位を判断する統制力が落ちてきているのだ。

「老人力」という考え方では、忘れたことを忘れる力、自己の失敗を許せない力、今やりたいことを押し通す力といった具合に、衰えを「力」として言い換え、失敗を肯定的に捉える。だが、そうは言っても、なんだかなあ……と呟いている。
[日常]

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