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2025年のノーベル生理学・医学賞を手にしたのは、京都大学出身の免疫学者・坂口志文氏。受賞理由は、免疫の暴走を抑える「制御性T細胞(Treg)」の発見と、その制御機構の解明だ。免疫を攻めの武器と見ていた時代に、「守るためのブレーキ」が存在すると唱えた発想は、まさに常識への反逆だった。自己免疫疾患やがん免疫治療の概念を覆した功績に、世界の研究者が頭を垂れたのも当然だろう。
坂口氏は1976年に京都大学医学部を卒業。当初は精神科医を志していたが、免疫学における「自己と非自己の境界」という哲学的テーマに惹かれ、研究の世界に足を踏み入れたと語っている。結果として彼は、人間社会よりもずっと素直な「細胞社会」の理屈を見抜いてしまった。免疫学とは結局、人間の政治学のミクロ版なのかもしれない。
今回の受賞で、学界の永遠の話題「東大と京大の違い」がまたぞろ蒸し返された。東京大学は巨額の研究費と官僚ネットワークを誇り、政策の中枢と直結する“国家の頭脳”。だが、教授会は派閥と序列の温床で、学閥の影が消えない。研究テーマも「踏襲」「継承」が好まれ、若手が異端の発想を持ち込もうものなら、空気が一気に冷える。いわば“自由の管理された大学”だ。
対して京都大学は、建物は古く、設備も貧しいが、「好きな研究をやれ」という放任主義が伝統だ。行政との距離は遠く、空気はゆるい。だがその「ゆるさ」こそが、坂口氏のような型破りな研究者を生む。東京がシステムで人を選ぶなら、京都は人がシステムを壊す。研究の本質が、体制順応ではなく知的反逆にあることを、今回の受賞は静かに証明してみせた。
結局、研究の豊かさを決めるのは予算でも施設でもない。制度の外に出る勇気と、常識に「なぜ?」を突きつける好奇心だ。坂口氏の栄誉は、見た目の質素さの裏にある知的豊かさの象徴である。豪華な研究棟で同調を競うより、狭い実験室で孤独に考える方が、世界を変えることもある。日本の学術界に漂う“官僚的知性”への痛烈なカウンターとして、京都の風はまだ自由だ。