「移民増を!」関西財界セミナー
2026-02-07


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京都で開かれた関西財界セミナーは、今年も予定調和の大合唱で幕を開けた。曰く、「外国人がいなければ日本は回らない」。空港も建設現場も鉄道の保守も、外国人労働者抜きでは崩壊する――そんな“危機”が、もっともらしい顔で語られる。ただし、最初に断っておく。ここで問題にしているのは、研究者や高度技術者、経営人材といった付加価値を生む高度人材の受け入れではない。それらは本来、国益として積極的に議論されるべきテーマだ。批判しているのは、低賃金労働を補うためだけの、無差別的な外国人労働力依存である。その光景を眺めながら、私が覚えたのは別の危機感だった。この国の企業は、いつまで現実から逃げ続けるつもりなのか。

財界の理屈は単純だ。「人手不足だから外国人が必要」。だが、その裏に透けて見える本音は、あまりに正直で、あまりに卑怯である。賃金を上げたくない。生産性改革をしたくない。安い労働力で延命したい。結局、それだけの話だ。日本には、働く意思がありながら働けていない潜在労働力が約400万人いる。政府の言う今後2年間の移民(特定技能・育成就労)の純増数の50万人規模の人手など、賃金水準を是正すれば日本人で十分に吸収できる。実際、待遇を改善した業種では日本人の応募が戻り始めている。つまり「日本人が来ない」という企業の嘆きは正確ではない。正しく言い直すなら、「日本人が来る賃金を払う気がない」、それだけである。

それでも企業は外国人労働者を求める。理由は明快だ。安いからである。安価な労働力があれば、自動化も業務改革も後回しにできる。低付加価値のビジネスモデルを温存したまま、決算は整い、株主は満足する。だが、その“安定”のツケを払わされるのは企業ではない。国家である。低賃金労働を前提とした外国人労働者の受け入れには、教育、医療、福祉、行政サービスといった膨大な公的コストが伴う。日本語教育は不足し、医療通訳は追いつかず、公教育の現場はすでに限界に近い。低賃金層は税収への貢献が小さい一方、家族帯同が進めば公的負担は確実に増える。推計では1人あたり年間100〓180万円の純負担。50万人増えれば、年間5000〓9000億円規模の財政赤字が新たに積み上がる。企業は利益を得る。国家は負担を背負う。この構図を理解しながら沈黙する財界は、もはや「経済界」ではない。国家財政に寄生する存在と呼ばれても、反論は難しいだろう。

さらに深刻なのは、低賃金移民依存が生産性改革を完全に麻痺させる点だ。安い労働力がある限り、企業は変わらない。変わる必要がないからだ。その結果、生産性は上がらず、賃金も上がらず、税収も伸びない。福祉と教育は削られ、国力は静かに、しかし確実に削ぎ落とされていく。低賃金移民への依存とは、国家の未来を切り売りする、最も安易で最も愚かな選択である。本当に必要なのは、安価な労働力の輸入ではない。賃金を引き上げ、日本人が働ける環境を整え、生産性を高めることだ。それこそが将来の税収を生み、福祉と教育を支え、国家を持続させる唯一の道である。

関西財界が叫ぶ「外国人が必要だ」という言葉は、危機感の表明ではない。怠惰の自己正当化にすぎない。国家の未来を犠牲にしてまで守る価値のある現状など、どこにもない。私たちが問うべきは、「外国人が必要か」ではない。「低賃金依存という逃げを、いつまで続けるつもりなのか」、そして「この国を、どこまで貧しくするつもりなのか」という、避けて通れない問いである。
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