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「間違いはなかった、記録も完璧だ」――。白い巨塔の頂に座す院長らが繰り返すその言葉は、慇懃であればあるほど、かえって冷たい響きを帯びる。埼玉県立小児医療センターで起きた抗がん剤ビンクリスチンの誤投与事案は、単なる医療ミスの範疇に収まらない。10代の少年が命を落とし、複数の患者に深刻な被害が及んだこの出来事は、医療安全の根幹がどこで機能不全に陥ったのかを鋭く問いかけている。
白血病治療において、ビンクリスチンは静脈内に投与されて初めて薬となる。しかし一度、髄腔内に入れば取り返しのつかない毒性を示すことは国際的な共通認識であり、世界保健機関も長年にわたり投与経路の物理的分離を勧告してきた。それにもかかわらず、本件では「使用記録は存在しない」とされる一方で、患者の体内からは当該薬剤が検出されている。この「記録の完全性」と「物証の存在」との間に横たわる説明不能な断絶こそが、問題の核心である。
さらに深刻なのは、初期段階での対応である。複数の患者に重篤な異常が生じた時点で、本来であれば直ちに第三者による検証が行われるべきだった。しかし実際には、事態は長期間にわたり「稀な合併症」という枠内で処理され、外部の視点が導入されるまでに大きな時間が費やされた。この遅れは、結果として検証可能性そのものを損ない、原因究明を著しく困難にしたと言わざるを得ない。
ここで問われるべきは、「誰が行ったのか」という一点ではない。なぜ、致命的な誤投与を防ぐ仕組みが機能しなかったのか。なぜ、異常の兆候が現れた段階で組織としての自己検証が働かなかったのか。そしてなぜ、その遅れが是正されないまま時間が経過したのか――。問題は、個人の過誤を超えた「構造的な管理不全」にある。
仮に今後の調査によって個別の責任が特定されなかったとしても、この組織的判断の連鎖がもたらした結果の重さは消えない。「原因不明」という言葉で幕を引くことは許されないし、また許してはならない。求められているのは、責任の所在を曖昧にしたままの収束ではなく、再発を確実に防ぐための制度的な再設計である。
医療は本来、最も厳格な安全管理の上に成り立つべき営みである。その前提が揺らいだとき、失われるのは一人の命にとどまらない。信頼そのものが崩れる。その重みを、組織の頂点に立つ者は直視しなければならない。