環境が意識を決定する
2026-06-04


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新聞というのは時々、読者に「えっ、そこ行く?」と言わせる妙な芸を披露してくれる。今回の『出生率に「西高東低」傾向』記事もその典型だ。最初は真面目に統計表の上をスーッと滑っていく。「出生率が下がっている」「東日本では有配偶出生率が低い」。ここまでは当たり前の展開である。ところが記者はそこで急に、体温計で血圧を測ろうとするような取材を始める。研究者に「男は仕事・女は家庭」といった性別役割意識の東西差を尋ね、その“お気持ちコメント”を出生率の原因のように扱い始めるのだ。測る道具を取り違えた瞬間である。

研究者はまず「明確な理由は言えない」と慎重な姿勢を見せる。ここまではいい。だがその直後、「男女の役割分担意識のズレが大きい地域ほど出生率が低い傾向がある」と、急に話を飛ばす。記事はそれを“原因の可能性”として差し出すが、読者としては「いやいや、ちょっと待ってくれ」と言いたくなる。測っているものと語っているものが違う以上、その橋渡しには相応の根拠が必要だ。観測されていない領域を想像で埋めるなら、それは説明ではなく、ただの“それっぽい物語”である。しかもその物語が、統計の上に勝手に座り込んでいるのだから始末が悪い。

そもそも有配偶出生率とは、結婚している女性が一年に何人産んだかという“結果”の数字であって、夫婦が夜な夜な「二人目どうする?」と揉めたかどうかなんて一滴も含んでいない。にもかかわらず「合意が得られにくいのでは」と踏み込むのは、統計が沈黙している部分を、あたかも発言しているかのように扱う行為だ。体温計で測った数値から血圧の上下を語るような場違いさである。

確かに内閣府の2024年調査では、性別役割意識の男女格差が北海道・東北で大きく、平等意識の「西高東低」傾向が出ている。だが、意識というものは環境に左右される。家賃、通勤、就業機会、若者の残存率〓〓こうした条件が違えば、意識だって変わる。それに、意識を原因扱いするなら本来は、同じ年齢で結婚した層どうし、若者が残っている地域どうし、住宅事情が似た地域どうし〓〓材料をきちんと分けて味見する必要がある。調査の分析(掲載グラフ)は、その下ごしらえを全部すっ飛ばして、結婚年齢も人口構成も住宅事情もごった煮のまま「これは意識の味です」と言い張っている。これでは、塩の味を知りたいのに鍋ごと飲んでいるようなものだ。

では出生率の地域差は何で説明できるのか。派手さはないが、確かめやすい要因はいくらでもある。都市部では住宅費が高く、通勤時間は長く、同世代のネットワークは分断されがちだ。地方では若年層が流出し、出会いの母数が細る。結婚年齢が上がり、初産年齢が上がり、第二子に踏み切る時間的余裕が削られる。こうした連鎖だけでも出生率は十分に押し下がる。西日本に比較的高い出生率の地域が点在するのも、夫婦の意識が“仲良し”だからではなく、若者が一定数とどまりやすい都市が複数残っているからだ。家賃も通勤も就業機会も“そこそこ”揃っている。つまり、若者が住める条件がきちんと整っている地域なのである。

にもかかわらず新聞は、こうした地味で骨太な構造よりも、「夫婦の意識のズレ」というドラマを好んで採用する。ドラマは書きやすいし、読者もなんとなく納得しやすい。だが、同じ秤で測っていないものをこじつけて語るのは報道として危うい。体温計で血圧を語るなら、せめてその換算式の正当性くらいは示してほしい。読者が求めているのは、物語ではなく、データが語りうる範囲を正確に示す姿勢である。そこを取り違えた瞬間、記事は静かに、しかし確実に信頼を失っていく。
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