川口と日本社会の歪み
2025-05-29


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埼玉県川口市。ここ数年で形成されたクルド人コミュニティと地元住民との摩擦が表面化し、ニュースにもたびたび取り上げられている。この問題を受け、自民党の河野太郎前デジタル相は、トルコ国民に対するビザ免除措置の停止を国会で提案した。観光目的で入国後に難民申請を繰り返し、長期にわたって国内に滞在・就労しているという実態に懸念を示したのだ。とはいえ、川口の事例だけで移民政策全体を語るのは早計だ。だが、これは日本が抱える外国人受け入れの制度と現実のズレが噴き出した一例とも言える。

実は、日本の地域社会と外国人との摩擦は今に始まった話ではない。1990年の入管法改正で大量に来日した日系ブラジル人やペルー人。浜松や豊田、大泉町などでは、ゴミ出しや騒音、学校現場での日本語教育など、生活のすれ違いから摩擦が生じた。1999年には、保見団地で右翼団体と外国人住民が衝突する騒動も起きた。その後も、技能実習生制度の拡大、中国人研修生の受け入れ、外国人児童の急増と教育・福祉の現場は対応に追われ続けた。今や、外国人が地域社会の構成員となることは現実の風景になっているが、その共生の足場が固まっているとは言いがたい。

問題は、日本が「労働力不足の穴埋め」という短期的視点に依存し続けてきた点にある。外国人を迎え入れる制度は整備されても、彼らを「暮らす存在」として支える社会基盤は後回しにされてきた。そのしわ寄せが、教育、医療、治安、地域の絆の崩壊といった形で現れている。一方で、欧米諸国もまた移民政策に苦慮してきた。ドイツやスウェーデンでは一時、積極的に難民を受け入れたが、統合の困難さや治安悪化への懸念から方針を転換。帰国促進プログラムや受け入れ数の抑制が始まっている。フランスでは郊外に形成された移民コミュニティが社会の分断を生み、オランダでは「文化的同化」を前提とした厳格な移民選別が議論されている。

日本もまた、こうした海外の事例から学ぶべき段階に来ている。移民を単なる「労働力」と見る時代は終わった。受け入れた人々が地域に根を下ろし、納税し、子を育て、老いていく〓〓その未来を想定した制度と意識が必要だ。「多文化共生」という美しいスローガンの背後には、行政負担、住民感情、制度のギャップといった複雑な課題が横たわっている。精神論ではもう乗り切れない。川口の問題は警鐘であり、通過点にすぎない。本当に問われているのは、「この国は誰と、どう生きていくのか」という未来像そのものである。
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